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隅田地方の歴史を紹介しています GENDAI SUDA TAIHEIKI

昭和時代の地方local history

一般家庭日々の事項

  昭和3年(1928)隅田村長が村民に対して次のことを行うよう伝えています。
・早寝早起きの奨励
・時間の経済を計る
・衣服の改良並びに節約
・現金主義たること
・草履の自家作を実行すること
・竈の改良をなすこと
・適当の麦飯を常食とすること

隅田、恋野村合併

 昭和29年(1953)芋生区に置いて区民総会が開かれ、村民の意見が集約されています。その資料によると「7日の村会の決議を一応白紙に戻す」、「前提として合併の主旨には賛同する」、「合併による利益は平等とする」、「合併の計画案を提示せられたい」、「合併に先立、健全なる村長を選出して、然る後に合併の方法に進んでもらう」、「隅田、恋野村外町村とは絶対合併しない」、「合併による利害損失を明示せられたい」としています。
 恋野村議会では、「町村合併促進法の趣旨に鑑み、隅田村、恋野村は一番に合併すべきである。即ち我々の先祖より氏神は隅田八幡宮であり、最近組合立中学校になっており、更に隅田駅、隅田郵便局、恋野橋などにより無言の中に合併の態勢ができているので、隅田村、恋野村の合併は決して不自然ではない。」と村長が説明して、全異議なしで決議されました。
 これに対して同日開催された隅田村議会では、「対等合併という大きな気持ちで、隅田村将来の発展のため善処してもらいたい。合併後の名称も恋野村は異論を持たない。大乗的見地に立ってこの問題を取り上げ、よろしく審議願いたい。」と議長が説明して議決されました。

参考文献 橋本市史